『もののがたり』最新刊情報
『もののがたり』第15巻
**2023年1月19日発売**
【あらすじ】常世と現世を繋ぐもの――“付喪神”。付喪神に奪われた青年・兵馬と付喪神を愛する少女・ぼたん。絆を深める二人の縁を引き裂くのは常世の奥底に生まれし存在“藁座廻”。門守の符術“鬼来迎”により召喚された、雅楽寮と八衢黒檀、そして挂の活躍により唐傘勢力を撃破していく塞眼たち。そして、婚礼調度は因縁の敵・時雨との最後の戦いを開始する――!! 絆と恋の付喪ノ語り、激闘必至の第十五巻。
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『もののがたり』第九十三話【残光 ザンコウ】あらすじ&見どころ紹介
・第九十三話【残光 ザンコウ】あらすじ
唐傘 天日と陽炎により再現される隼人と鼓吹の”天才”。天日に「乱れ開闔」を放つ隙を与えないよう怒涛のごとく技を繰り出す兵馬だったが、ついにその攻撃も凌ぎ切られてしまう。再び放たれる「乱れ開闔」を前に、絶体絶命の窮地に兵馬が諦めかけた瞬間、兵馬は姉と兄の声を聞く。その瞬間足掻くように兵馬が咄嗟にとった行動は、鼓吹と隼人、姉と兄から託された形見である片方ずつの引手を構えることだった…。
今回の見どころ
鼓吹と隼人の形見の片方ずつの引き手、あの伏線がまさかこんな形で回収されるとは…。さらにその二人の形見も使った兵馬の奥の手二対構え”生大刀・魔反”発動!! 二人との回想シーンも散りばめられ、感涙必死の神展開!! そして、ついに鼓吹と隼人を殺害した始まりの唐傘”岐殺”の真の名と姿が明かされる!!?
『もののがたり』第九十三話【残光 ザンコウ】は『ウルトラジャンプ』2022年12月号に掲載。
『もののがたり』第九十三話【残光 ザンコウ】感想
・片方ずつの引き手 姉と兄の形見
今回の話は個人的には数ある名エピソードの中でも上位に入る神エピソードだった。やっぱりオニグンソウ先生は話の展開のさせ方が秀逸ですねぇ。
ここにきて、”片方ずつ”託された鼓吹と隼人の形見の引手がこんな形で働くのだとは…。”片方ずつ”だったのって、このためだったのか…。これはもはや泣くしかない。しかも、この行動が意図して行ったものではなく咄嗟に…というのがまたいいんだよなぁ。姉と兄を慕い、自分の引手に見放されても二人の引手を使い続けた兵馬のこれまでも思えば、その感動も一入です。
しかも、それを初めて兵馬が隼人に稽古をつけてもらった日の回想と織り交ぜて描いてこられるものだから…。兵馬と鼓吹、隼人の絆、死んでもなお弟を守り続ける姉と兄の想い…。
そして、天日の「乱れ開闔」を”閉じ返して”からの展開が、さらに胸を熱くさせるのである。それが兵馬の新たな”奥の手”。
・岐式開門術 真髄 二対構 “生太刀・魔反”
圧倒的に不利な形勢を覆した兵馬の奥の手 岐式開門術 真髄 二対構 “生大刀・魔反”。二対構ということで、つまり、鼓吹・隼人の片方ずつの引手と自分自身の引手の4つの引手を使った”生大刀”です。
兵馬が普段使用している”生大刀・千引”に、小ぶりな隼人と鼓吹の”生大刀”が融合したような形状の大太刀。この形状がまた良いんだよな。引手とはいえ、憧れ続けた姉・兄と共に戦うことができたって感じがね、たまりません。
それにしても、あらかじめ天日たちに生大刀を使わせて、その形状を読者に見せて印象付けた後で、そのデザインをしれっと”魔反”の意匠に組み込んで描くあたり、オニグンソウ先生も味なマネをされる。
ちなみに、その威力は絶大で、天日、陽炎の二体の器を一撃で滅してしまうほど。そして、天日と陽炎の器が消滅し、現れたものこそが…
四つの引手を使った開門術であるので、威力が絶大であるのはもちろんなんだけれど、その分 兵馬にかかる負荷も大きそうですよね。少なくとも開門術に名前がある以上、ぶっつけ本番で試したわけではないのだろうけど、大技なだけになんのリスクもないものとも思えない。
形勢を覆したように見えるのだけれど、唐傘はまだもう1段階余力を残しています。つまり、ドラゴンクエストでいうところのラスボス魔王の第一形態を倒しただけの段階な訳で、こういう場合は第二形態の方が厄介だというのが相場。兵馬もすでに余裕があるとはいえない状況なので、ここで”魔反”による反動が来ようものならかなり厳しいのではないか。
ただ、時雨を倒した婚礼調度は兵馬の元に向かっているはず。兵馬が粘って最後は総力戦…という感じだろうか。
・唐傘”禍津日”またの名を岐殺!!
さて、兵馬の奥の手”生太刀・魔反”を受け、天日と陽炎は隼人と鼓吹の器を失い、ついに二人を殺した始まりの唐傘 岐殺が現れましたよ。とりあえず、他の藁座廻と比べても邪悪さ、禍々しさが比べ物にならないうえ、異形感が強い。額にある禍々しい第三の目のようなものが特徴。
その真の名前は”禍津日”。実は個人的にはこの名前が少し引っかかったのです。というのも日本神話に”禍津日神”という神が存在するのである。その神は伊弉諾が黄泉の国から帰った際に、禊を行い祓った”穢れ”から生まれたとされる神であり、その名は”災厄の心霊”を意味するのです。
その名前に加え、他の藁座廻たちのような人形からあまりにかけ離れたおどろおどろしさ、そして鼓吹、隼人を殺すことができるほどの強さ。もしかして、”禍津日”って神の一柱なのでは??なんて思ってしまうのだけれど…。額にあるのは第3の眼ではなく”穢れ”かもしれないなぁ。
いや、もちろん流れとしてはあくまで”禍津日”も付喪神であることは間違いなく、神ではないのだろうけれど…。実はそのように思う背景には理由があって、その一つが”塞の神”の存在なのです。”塞の神”とは境界の守護者であり、兵馬たち塞眼に引手などの力を与えている存在のこと。…なのだけれど、実は作中でその存在については多くは語られていない。ただ、その性質上、付喪神とは異なる系統の存在であり、かつ彼ら付喪神や人間よりも上位の存在であることは間違いがないと思われる。これが意味することは、作中世界には現人神以外にも”神”というものが存在していると考えられるのである。
そして、実をいうとこの”塞の神”というのも、禍津日神と同様に実際に日本神話に登場する神(というより神の種類)なのである。ちなみに面白いのは、日本神話の神産みの段ではこの性質を持つ神として道俣神が登場するが、奇しくも禍津日神と同じく伊弉諾の禊の際に生まれている。こちらは伊弉諾が脱いだ褌から化生したとされている。
さておき…
そもそも『もののがたり』における”マレビト”という概念は、もちろん折口信夫の”まれびと”から来ているわけであると思われるが、折口自身が『「とこよ」と「まれびと」』の中で”まれびと”をはっきりと”神”、”時を定めて来たり臨む大神”と明言している。
それらを考え合わせたところ、禍津日神と同じなを持つ”禍津日”も神の一柱であるのではないかと思ったわけなんですけど(最終ページの煽りでも”悪神”って書かれてるしね)…どうなんだろうねぇ。
ところで、禍津日と天日、陽炎の関係性はどうなっているのだろうか。器である隼人と鼓吹の肉体が消滅したことで禍津日が出現した以上、天日、陽炎と禍津日は同一存在であることは確かなはず。そもそも二人を殺した際に”僕が使ってやる”と言っていたくらいなので、そこは間違いないと思うのだけれど、禍津日、天日、陽炎はそれぞれ別の自我を持っているん…ですよね?禍津日になって一人称が変化していたし。
天日と陽炎については、黒檀の時のように、唐傘に喰われてもなお器の記憶、意識が残り続けていた状態という理解でいいのかな。それが分離(できるのかは知らないけれど…)して、禍津日本来の人格が表出したのが今の状態ということか…。
それにしても、藁座廻であるのは天日だったはず。その天日と、さらに同格の陽炎の二人で禍津日ということなら、禍津日は間違いなく藁座廻よりも圧倒的に格上の存在となるわけですが、他の3体時雨、吹雪、凩との関係、というか立ち位置(?)はどうなっているのだろうか。
さておき、何はともあれ、兵馬はついに鼓吹、隼人の器から本来の仇を引き摺り出した形になったわけで、正真正銘の最終戦開始です。禍津日自身も行っているように兵馬は確実に禍津日を”追い詰め”て行っています。気になることがあるとすれば、兵馬に”生太刀・魔反”以上の奥の手があるのかということと、先ほども書いたように”生太刀”よりも負荷が高いであろう”魔反”を使用した反動は大丈夫かな、というところ…。