メニュー

『もののがたり』九十六話【蕃神 バンシン】感想:現人神との邂逅。ぼたんを取り戻しに常世の深淵へ…。

2023年2月17日 - もののがたり
『もののがたり』九十六話【蕃神 バンシン】感想:現人神との邂逅。ぼたんを取り戻しに常世の深淵へ…。

『もののがたり』最新刊情報

『もののがたり』第15巻

**2023年1月19日発売**
【あらすじ】常世と現世を繋ぐもの――“付喪神”。付喪神に奪われた青年・兵馬と付喪神を愛する少女・ぼたん。絆を深める二人の縁を引き裂くのは常世の奥底に生まれし存在“藁座廻”。門守の符術“鬼来迎”により召喚された、雅楽寮と八衢黒檀、そして挂の活躍により唐傘勢力を撃破していく塞眼たち。そして、婚礼調度は因縁の敵・時雨との最後の戦いを開始する――!! 絆と恋の付喪ノ語り、激闘必至の第十五巻。


✨✨第15巻見どころ紹介はこちら✨✨

『もののがたり』九十六話【蕃神 バンシン】あらすじ&見どころ紹介

『もののがたり』九十六話【蕃神 バンシン】あらすじ

婚礼調度を纏い、兵馬はついに唐傘を打ち倒す。しかし、束の間の勝利の余韻に浸る間も無く、ぼたんを迎えにいくためにさらに先へと進む。常世と現世の狭間のその果て、閉ざされた大戸にたどり着いた兵馬と婚礼調度。文字通り”引手”で開かれたその大戸の向こうで現人神と邂逅する。兵馬たちの姿を見とめた現人神は禍津日の敗北を悟り、静かに言葉を紡ぎ出す。ぼたんの魂を救い、取り戻すために常世へと連れて行って欲しいと頼む兵馬に対し、現人神は無限に広がる常世の闇に散り行くぼたんの魂をかき集めることができると思っているのかと問い掛ける。迷いなく是と答える兵馬と、兵馬を信頼し 彼に全てを賭ける婚礼調度。その両者の有り様こそが”前の自分”が覗き見ていたものだと感じた現人神は、兵馬を常世の深淵へと導くことを引き受ける…

今回の見どころ

・ぼたんの魂を削り落とし、唐傘達が完成させた現人神。その存在の全貌がついに明らかに!!
・さらに唐傘 藁座廻の頭領 禍津日がどんな存在だったのかも明かされます!!
・唐傘を打ち倒し、兵馬達がついに現人神の元までたどり着く!! ぼたんを取り戻すための最後の試練が始まる!!

『もののがたり』第九十六話【蕃神 バンシン】は『ウルトラジャンプ』2023年3月号に掲載。

>> 『もののがたり』の魅力を紹介!!既刊情報も!!

『もののがたり』の魅力を紹介!!あらすじや既刊情報も紹介。圧倒的画力が唸るスタイリッシュな”付喪神”の物語!! 『もののがたり』の魅力を紹介!!あらすじや既刊情報も紹介。圧倒的画力が唸るスタイリッシュな”付喪神”の物語!!

『もののがたり』九十六話【蕃神 バンシン】感想

唐傘 禍津日とは何者だったのか??

前話にて、婚礼調度の主人として彼らを纏い、ついに宿敵 唐傘との因縁に決着をつけた兵馬。討たれ消滅していく最中の禍津日の意識が今回の冒頭で描かれましたのだけれど、あれもまた切ないものでした。

禍津日の言葉で言うと”ずっとごちそうを見せつけられていて ようやくかぶりつけると思っていたのに”とのこと。本人の意思とは関係なく ただただその存在の在り方ゆえに どうしても求めてしまう、否、求めずはおれないキラキラと輝く、しかし決して手に入ることのない”光”。それをひたすら焦がれたまま生き、そのまま満たされることなく消えていく。

産み出されのたにもかかわらず、その存在の意義を誰からも認められない。なんとも切ない限りです。もちろん、唐傘の存在の本質ゆえに、彼らの存在を認めることは現世の安寧とは両立しないのですが…。最期の瞬間、その”光”を”キレイだなぁ”と、まるでようやく自らが触れられることができたかのように感じたようなのが、唯一の救いだろうか。

>>『もののがたり』九十五話【産霊 ムスヒ】感想はこちら

『もののがたり』九十五話【産霊 ムスヒ】感想:婚礼調度を纏う!!筆舌に尽くせぬ高揚感の神展開!! 『もののがたり』九十五話【産霊 ムスヒ】感想:婚礼調度を纏う!!筆舌に尽くせぬ高揚感の神展開!!

禍津日と他3体の藁座廻の関係性はまだよくわからないのだけれど、禍津日のこのあたりの”光”への渇望は特に時雨と色濃く共有されているようですね。結局、藁座廻の最期で感傷的にならなかったのは凩の時だけだったなぁ。

ところで、既に前話で打ち倒したわけだが、今回の話で 禍津日についてどんな存在だったのかが 現人神の口から少し詳しく語られていました。ちなみに、兵馬や婚礼調度にとっては”禍津日”というのが”岐殺”の本当の名だということもここで初めて知る事実だったんですね。 

いくつかの情報はこれまで明かされた、あるいは 描写から推測できた内容だったのだけれど、個人的に一番 衝撃的な情報だったのは禍津日が”明確に常世での記憶と意思と力を持ち越して生まれた”存在だったということ。

凩が自分達を”洗い流され常世の奥底に堆積した罪ー 魂の穢れ”、その”濾された穢れ”が付喪神という形のイレギュラーで滲み出た存在だと語っていたので、”穢れ”という本質による衝動とでもいうもので突き動かされている…のだという印象を持っていたのだけれど。吹雪も器に宿った暖かな記憶が穢れとしての衝動に塗りつぶされる…的なことを言っていたし、時雨も自分達は現世に迷い出た迷子…的なことを言っていたし(これはまた違う意味かな?)。

>>『もののがたり』唐傘”藁座廻”まとめ記事はこちら

唐傘”藁座廻”。現人神の従者にして より常世の深きから現れ出た穢れ。:『もののがたり』まとめ 唐傘”藁座廻”。現人神の従者にして より常世の深きから現れ出た穢れ。:『もののがたり』まとめ

禍津日に関してはそうではなかったということか。今回、現人神に禍津日は”藁座廻の頭領”だと説明されていたので、やはり他の藁座廻とは異なる存在なのかもしれない。

されに、禍津日はわずかではありながらも”穢れ”を身体の中に内包していたのだと!! 確かにそうとしか思えない描写はあったけれど、”常世の穢れを現世に放つ”ことは神の御業と言われていたはず。そうなると、天恵なしで”穢れ”を内包して現世へと現れた禍津日は、名前通りやはり神に近い存在だったと言えるのだろうか。

そもそも”穢れ”を体内に内包していたからこそ、”他者を飲み干し己が血肉へと変える”ことができたのだそう。…あれ、”己が血肉”…となると、本体である禍津日が消滅した今、椿は大丈夫なのだろうか。

ともあれ、話は元に戻るのだが、禍津日が常世のものを持ち越して生まれた存在であるというならば、なおのこと禍津日、そして藁座廻たちの存在、行いはただただ彼らが “そう生まれてしまった”という点だけに尽きるわけで、やはりどうにも切なさを禁じ得ないのである。そういえば、初期に”叢原火”の挽切という、器の本質に引っ張られた付喪神として描かれていたキャラクターがいましたが、唐傘は逆に宿った”マレビト(彼らの場合は穢れ)”の本質に引っ張られてしまった存在だったということなんですかね。

>>『もののがたり』登場する付喪神一覧 まとめ記事はこちら

『もののがたり』付喪神一覧まとめ 『もののがたり』付喪神一覧まとめ

完全なる現人神の顕現。

そして、現人神。天日をはじめとする藁座廻たちの儀式により、ぼたんの魂を削り落とし、唐傘を従える純粋で完全な現人神が生まれた。藁座廻達への”天恵”など、これまでの描写からすると、それでもまだ完全という訳ではないようなのだけれど、少なくともぼたんの魂は既に彼女の器からは完全に引き剥がされてしまっている。

そんな現人神だが、なんとなく想像していた存在とは少し隔たりがあったように感じた。というのも、これまでの描かれ方からすると、完全となった現人神は”唐傘たちを導く存在”という印象だったのだが、今回描かれた彼女の言動にはどちらかの陣営に加担するような気配は微塵もなく、あくまでそれらを超越した別次元の存在という感じ。その意味では、以前までの現人神と本質は変わらないようにも感じる…かな。

…いや、むしろより”神”らしく変化していると捉えるべきなのかな。実際、彼女自身が話すように彼女の存在は”目的のために用意された道具に過ぎない”のだそう。この”求められるがままに機能した”というのは皮肉ながら”神”という概念そのものだなぁ、と。

信仰というのは、”絶対的な何か”に自分達の望み、救いを投影するようなものとも言える。”神”があくまで”機能”であるというのは、まさしくそういう見方からの考え方だが、少なくとも”唐傘達を導く現人神”というのは、唐傘たちが現人神に抱いた”信仰”であっただけ…ということで、そこに”主体的”な指導者としての性格を持った現人神は存在しないわけか…。

そう考えると、ますます持ってぼたんの魂を除いた現人神は、より純度の増した神という存在になった、まさしく神さびたと言えるのかもしれない。考えてみれば、これまでの現人神は”物の言うことに耳を貸す道理はない”などのセリフに表れているように、決して”使われる”存在ではなかった。現在と同じようにどちらに偏ることもなく、超越した存在ではあったものの、その行動には常にぼたんを守ると言う意思を孕んでいた。つまり、現在の”私自身の意思など無いに等しい”と言う彼女とは異なり”明確な彼女自身の意思”があったと言うこと。

さておき、現人神には本質的な変化とともに、存在として(?)性質の変化も起きている。

それは何かというと、かつての現人神は ぼたんとマレビト、2人の魂が表裏一体として一つの器に宿して安定していたのだけれど、現在はぼたんの魂が剥がされたことで一つの魂が一つの器に宿る状態。つまり、ぼたんかマレビトか、どちらか一方の魂が器と結びつくことでしか安定しない。

ぼたんを取り戻せばマレビトが、マレビトの存在を許せばぼたんが…。もはや、どちらか一方の魂のみしかが残ることは許されない、ということか。実際、現人神を不成立にしなければ、遠からず現世に”常世に通じる扉が開け放”たれることになるわけだし、ぼたんを救うには他に手はないわけだけれど…その成功の裏にはマレビトの確実な犠牲が決定されているというのは…やるせないなぁ。

彼女もまた、新たな存在として既に生まれてしまっている存在なので、消えてしまわなくてはならない運命にあるのは忍びない。でも、まあ、切り離されたとしてもマレビトはもと似た場所に戻るだけ…なのかな?? 彼女にとっても、良い結末が迎えられますように…。

ぼたんを取り戻すために…。常世の深淵に臨む。

さて、そうはいってもぼたんの魂を取り戻すことは容易ではない。既に”鬼来迎”により婚礼調度の前に現れた”かつての現人神”が話していたように、ぼたんの魂は肉体から切り離され、常世の闇の中に落ちてしまっている。

その無限に広がる常世の闇の中から、”散り散りになり行く一人の少女”をかき集めることは並大抵のことではないことは想像に容易い。

とはいえ、もちろん、兵馬には迷いはないので、ぼたんを救う手段がある限り歩みを止めることはありえません。兵馬の迷いなさや、婚礼調度の信頼が描かれるのはやっぱり良いですね。禍津日がいうところの”キラキラした光”。

現人神もまた、それを感じつつも、それに触れることができないという点は禍津日と一緒なんだろうなあ。そう思って読むと、現人神の振る舞いも少し切なく感じる部分があるなぁ。というか、”前の自分”についてどの程度覚えているのだろう…。

そういえば、今回のタイトルである”蕃神(ばんしん)”。別の読み方をすると”となりのくにのかみ”で、外来の神、外からはいってきて定着した いわゆる渡来神のことを表す言葉なのだけれど、これは”マレビト”である彼女のことを表している…と思っていいのかな。そうすると、今回の話は現人神である彼女自身についてこそ語られた話と解釈できるわけか…。

ともかく。

その光を見た現人神は兵馬へ助力することを承諾。ついに兵馬が常世の深淵へとぼたんを迎えに行く!!

ただ、現人神の天恵で常世での肉体の崩壊は防いでもらえるそうなのだけれど、彼女の力を持ってしてもせいぜい一人分を抑えられるのが限度で、その上長く持続させられる保証もないらしい。兵馬はたった一人で、しかも限られた時間の中で、ぼたんを探し出さなくてはならないということ。

ここからは、まさしく兵馬とぼたんの”愛縁”に全てがかかってくることになるでしょう。さあ、そろそろ物語も終わりに近づいている感じですし、あと2~3話くらいで完結でしょうか。現世の仲間達のことも気になるし、果たしてどう結末へと持っていくのか…。

まさに物語は最高潮、クライマックス、というところですが、とりあえず来月は休載。再開は4/19日発売のUJ5月号。


>>『もののがたり』 オニグンソウ レビュー感想記事一覧

>>『もののがたり』 オニグンソウ レビュー最新話感想


>>『もののがたり』九十五話【産霊 ムスヒ】感想はこちら

『もののがたり』九十五話【産霊 ムスヒ】感想:婚礼調度を纏う!!筆舌に尽くせぬ高揚感の神展開!! 『もののがたり』九十五話【産霊 ムスヒ】感想:婚礼調度を纏う!!筆舌に尽くせぬ高揚感の神展開!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です